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2017年2月19日 (日)

ゴジラ60周年ロケ地巡り~『ゴジラvsメカゴジラ』①(京都)

ご無沙汰しております。約半年ぶりの更新、今年初の投稿です。
昨年公開の『シン・ゴジラ』は、興行収入82億円を突破する大ヒットを記録(2017年1月報道時点)し、年末の『NHK紅白歌合戦』でも話題になるなど、社会現象級の快進撃が続いています。当ブログは、相変わらず「ゴジラ60周年ロケ地巡り」シリーズが進展しない状況ではありますが、3月には『シン・ゴジラ』のBlu-ray&DVDが発売され、アニメ版『GODZILLA』も公開されるようですので、引き続きコツコツと更新を続けながらゴジラを応援していきたいと思います。遅ればせながら、本年もよろしくお願いいたします。


さて、今回ご紹介するのは、『シン・ゴジラ』のエンドロールでテーマ曲が流れた、シリーズ第20作『ゴジラvsメカゴジラ』です。公開は1993年12月11日。「この戦いで、すべてが終わる。」というキャッチコピーが示すように、シリーズ20作目とゴジラ誕生40周年の節目として、平成ゴジラシリーズは本作で一旦終了する予定だったというのはファンにとっては有名な話です(実際はアメリカ版『GODZILLA』の公開延期により、シリーズは続行)。そのため、メカゴジラに加えてラドンの復活や、次世代につなぐベビーゴジラの登場など内容も豪華でした。

さらに本作では、日本映画として初めてドルビーデジタル5.1chサラウンドが試験的に導入されました。私は大阪の梅田東宝で鑑賞することができましたが、当時は東京・有楽町の日劇東宝との2館だけの上映だったとのこと。貴重な体験でした。東宝マークの前の、CGの機関車とともに映し出されるドルビーのロゴムービーが格好良く、高級感に華を添えていたように思います。DVDに収録されていないのが残念です。

◆東寺
『ゴジラvsメカゴジラ』(1993)より
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ウンチクはさておき、本題のロケ巡りとまいりましょう。まずは鈴鹿から京都へ入ったゴジラを東寺越しに捉えたこのカットから。

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撮影場所は、東寺の向かいにあるマンションの屋上です。

『CINEMAチップス』(1993)より
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『ゴジラvsメカゴジラ』公開当時に大阪のMBS(毎日放送)が放送していた『CINEMAチップス』という番組で、ロケ現場の様子がリポートされていました。

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現場で指示を出す川北紘一特技監督。

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リポートしていたタレントの岡崎みゆきさんは、川北監督の機転でそのまま本編にも出演となったようです。

『ゴジラvsメカゴジラ』(1993)より
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続いて順番が前後しますが、プテラノドンの卵が国立生命科学研究所にあると知った青木一馬(演:高嶋政宏)が、車で京都へとやってきたシーン。筑波から高速道路をとばし、名神の京都南ICで下りて国道1号線を北上すると、東寺のはす向かいにあるこの京阪国道口交差点に辿り着きます。

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こちらのカットは、先のマンションの向かいにある病院(右の写真中央の建物)からの撮影だと思われます。

『モスラ3 キングギドラ来襲』(1998)より
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東寺といえば、平成モスラ3部作の最終作『モスラ3』で、キングギドラとそれを追うモルとロラが上空を通過しています。現地の写真は九条大宮交差点で撮影。右側の「京都銀行九条支店」が本編でも右下に確認できます。余談ですが、すぐ近くには「ゴジラ誕生祭」をはじめ特撮映画のイベント上映がよく行われている「京都みなみ会館」があります(私はまだ行ったことないのですが…)

『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(1999)より
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『ガメラ3』でイリスが降臨したのも東寺付近でした。ただ、アングル的に一致しないというか何か違う気が…。

(2014年11月1日撮影)

そう思っていろいろ調べていると、こちらのブログですでに謎が解明されていました。

まんりき王朝さん:『ガメラ3-邪神覚醒-』京都ロケ地探訪
http://www3.famille.ne.jp/~manriki/manriki.html

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まんりき王朝さんによると、映画公開当時に発売されていたメイキングビデオ『GAMERA1999』に解決の手がかりが隠されていたようです。このビデオは、『シン・ゴジラ』の庵野秀明さんが総監督を務めた139分の大作で、単なるメイキングではなく、撮影現場の際どい問題にもスポットを当てたいわく付きのドキュメンタリー作品。そのためか、先日発売された『平成ガメラ4Kデジタル復元版Bru-ray BOX』にも収録されていませんでした。

◆東本願寺
『GAMERA1999』(1999)より
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これが手がかりとなったロケ現場のシーンです。画面後方に「ほんの一瞬京都タワーらしき白い光が写っている」のを確かに発見。

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そこから撮影場所が東本願寺であることを突き止められたようです。

『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(1999)より
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再び本編と比べてみると、確かに一致します。塀よりも高い松の木は、まんりき王朝さんも指摘されていますが、デジタル処理が施されているように見えます。

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公式サイトの案内図を参照いただくとわかりますが、東本願寺の前を南北に走る烏丸通は、撮影場所となった御影堂門付近では東側に迂回しており、門周辺は車寄せのようになっています。本シーンはエキストラを大量に動員する必要があったため、国道に面した東寺よりも撮影に好都合だったのかもしれません。

(2016年11月3日撮影)

◆ムラテック八条口ビル
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東寺つながりで、脱線ついでに『ガメラ3』に関する細かすぎるネタをもう1つ。綾奈が「京都駅ビル」から東寺付近に降臨したイリスを見つめるシーンです。五重塔が合成で付け足されたものであることは当ブログで以前にご紹介していますが、今回注目したいのは、その右隣の青い看板です。

特撮ロケ地巡り~京都編③(京都駅~その2)
http://tokusatsu.way-nifty.com/blog/2012/11/1-fa79.html

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新幹線からも見えるこの青い看板は「ムラテック八条口ビル」のものだったのですが、近年それがなくなっていることが判明しました(だから何やねんとは言わないで…)

(左:2012年11月13日撮影/右:2014年11月1日撮影)

◆京都タワー
『ゴジラvsメカゴジラ』(1993)より
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さて、京都駅へとやってきたところで、ゴジラの話題に戻ります。烏丸中央口前にそびえ立つ「京都タワー」を破壊するゴジラ。こちらも以前に紹介済みですので、今回はフィギュアの合成写真にて。

特撮ロケ地巡り~京都編①(京都タワー)
http://tokusatsu.way-nifty.com/blog/2012/11/post-cf58.html

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ここから新ネタです。せっかくなので上ってみることにしました。

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『モスラ対ゴジラ』と『三大怪獣地球最大の決戦』が公開された1964年に竣工した京都タワーは、高さ131m。鉄骨を一切使わず、筒状の塔体で力を受けとめ全体をささえる「モノコック構造」が世界に先駆けて採用されたそうです。何だか難しいですが、要は飛行機や船、動物ではカニ、エビ等と同じ仕組みとのこと。

『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966)より
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実は『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の冒頭では、京都タワーから撮影された先の東本願寺が映ります。

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カメラはそのままティルトアップして京都市内全景へ。こうして見ると、京都の街も変わりましたね。京都が舞台になっているのは、アメリカとの合作故のことでしょうか。

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カットが変わり、続いて知恩院が映ります。本堂の御影堂は、2012年1月から大修理が行われており、現在は素屋根で覆われています。この知恩院についてはまた後ほど。

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カメラは知恩院から祇園方面へパンします。

(2016年1月19日撮影)

◆京都祇園・弥栄会館
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パンした先にあったのは「弥栄会館」。京都の舞妓の舞を始め、7つの伝統芸能を約1時間で鑑賞できる施設です。この付近にスチュワート博士の研究室があるという設定になっています。実際は京都大学あたりをイメージしていたのかもしれませんが、弥栄会館が選ばれたのは映像的なわかりやすさからでしょう。

(2015年11月7日撮影)

◆知恩院
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先ほどの知恩院へとやってきました。浄土宗の総本山で、大修理が行われている御影堂は1639年(寛永16年)に徳川家光によって再建されたものです。2002年には国宝に指定されています。

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こちらは御影堂とともに国宝に指定された三門。1621年(元和7年)の建立です。

『ラストサムライ』(2003年)より
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三門から御影堂へと続く階段は、アメリカ映画『ラストサムライ』のロケ地でした。

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明治天皇に謁見すべく、男坂と呼ばれる急な階段を上るネイサン・オールグレン大尉(演:トム・クルーズ)一行。

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実際は男坂の上に御影堂がありますが、本編では皇居(舞台設定は東京)の一部が合成されています。

(2016年1月9日・11月3日撮影)

◆三条大橋
『ゴジラvsメカゴジラ』(1993)より
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閑話休題。京都市内を侵攻するゴジラ。ここもゴジラの迷走ぶりとあわせて以前に紹介しましたので、今回はフィギュアの合成写真にて。

特撮ロケ地巡り~京都編④(ゴジラ、京都で迷走か!?)
http://tokusatsu.way-nifty.com/blog/2013/11/post-6e8e.html

◆清水寺
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三条大橋から北上するかと思いきや、なぜか清水寺へ迂回したゴジラ。ロケ地の詳細はいずれも先の記事でご紹介しております。

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ここからは新ネタです。「清水の舞台」でゴジラを発見する人々。指をさしている人がいますが、先の本編合成カットとのつながりを考えると、本来は反対側(画面左側)へ向くべきなんです。

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同じく「清水の舞台」で、偶然訪れていた修学旅行の学生も巻き込んで撮影したというカット。本編をよく見ると、すでに壊したはずの京都タワーが一瞬映ってしまっています(^_^;)

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こちらはメイキング映像に収録されている未使用カットから。人がいないため、前後のカットとうまく繋がらなかったのかもしれません。

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音羽の滝へ続く石段を駆け下りる人々。背後に見える格子戸の建物は釈迦堂です。

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奥に見えるのが釈迦堂。訪れたときは、その右隣にある阿弥陀堂の改修工事が行われており、仮歩道が設置された関係で撮影に使われた階段は塞がれていました。

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石段を下りた先には、寺名の由来となった「音羽の滝」があります。3本の筧から流れ出る水は「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれています。

『日本沈没』(2006年)より
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清水寺といえば、『シン・ゴジラ』の樋口真嗣監督による2006年版『日本沈没』では、本堂のすぐそばまで水没していました。ちなみに本堂は、檜皮(ひわだ)ぶき屋根のふき替え工事が今月から本格化しており、近々素屋根ですっぽりと覆われてしまうそうです。この風景も当面見納めです。

清水寺ふき替え「素屋根」が守る 半世紀ぶり修理、本格化へ(京都新聞2017年2月4日付)
http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20170204000090

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こちらは、京都の名刹で宝物が梱包されるシーン(ガンダムの富野由悠季監督が高僧役で出演している場面)の頭に出てくる京都市内の全景カットです。これも先のカットと同じ場所から撮影されていると思われます。DVDのスペシャル・コレクターズ・エディションの特典として封入されている樋口監督の撮影台本(レプリカ)にも「清水寺」の書き込みがあったので、間違いないと思われます。

『妖星ゴラス』(1962)より
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『妖星ゴラス』の終盤にも清水寺は一瞬映ります。地球に接近するゴラスの引力によって発生した大洪水に飲み込まれていくというシーンです。ただ、右手の本堂がきちんと映っておらず、画面も暗いので、一見すると清水寺かどうかわかりにくいです。

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撮影ポイントは、境内の子安塔付近に本堂を含む諸堂を一望できるスポットがあり、そこだと思われます。先の「清水の舞台」でゴジラを発見する人々のカットも、同じくここから望遠で狙ったのではないかと推測します。

(2015年11月3日/2016年11月3日撮影)

◆平安神宮
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『妖星ゴラス』には京都の名所がもう1カット登場します。平安神宮です。

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応天門がゴラスの引力によって発生した大洪水に飲み込まれます。ただ清水寺同様、このカットもアングルが中途半端な気がします。これら2カットのためだけに京都ロケを行ったとも考えにくいので、もしかすると既存のライブラリーフィルムに大波を合成したのかもしれません。

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平安神宮は1895年(明治28年)に平安遷都1100年を記念して創建された、比較的新しい神社です。すぐ近くには『ゴジラ音楽祭 in京都』が開催された「ロームシアター京都」があります。音楽祭については過去記事で詳しく述べています。

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ゴジラ60周年ロケ地巡り~『ゴジラvsキングギドラ』⑤(京浜島)
http://tokusatsu.way-nifty.com/blog/2016/05/60vs-bfbb.html

(2016年1月19日撮影)

◆八坂の塔(法観寺)
『ゴジラvsメカゴジラ』(1993)より
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清水寺に立ち寄ったゴジラは二年坂に顔を出し、再び北上します。『東宝SF特撮映画シリーズ VOL.8 ゴジラvsメカゴジラ』(東宝 出版・商品事業室発行)の川北紘一特技監督のインタビューによると、特撮カットに出てくる五重塔は「八坂の塔」をイメージしたものだそうです。

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「八坂の塔」は聖徳太子が建立したという法観寺の一部で、現在の塔は1440年に足利義教によって再興されたものです。

(2017年5月2日撮影/追記)

◆出雲路橋
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鴨川の上流へと進むゴジラ。このカットの撮影場所は、下鴨神社の近くにある出雲路橋付近です。ここも以前にご紹介したスポットですので、フィギュア合成で(^^)

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ゴジラが目指すのは、ベビーゴジラがいる「生命科学研究所」ですが……

 
先の『東宝SF特撮映画シリーズ VOL.8 ゴジラvsメカゴジラ』で、川北特技監督は「生命科学研究所」の場所について「僕がイメージしたのはあっち、なんだっけ国際会議場のあるとこ。(中略)あそこだったら山間部で、なんかポツンとあってもおかしくないとこだし」と語っています。「国際会議場」というのは、宝ケ池にある「国立京都国際会館」のことですが、前回の取材はここまででした。

◆国立京都国際会館
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というわけで、今回はちゃんと現地へ行ってきました。これが「国立京都国際会館」です。

『ウルトラセブン』第14話「ウルトラ警備隊西へ 前編」(1968)より
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またゴジラから離れてしまいますが、『ウルトラセブン』の第14話では六甲防衛センターの外観として登場します。ただ、『ウルトラセブンイズム』 (辰巳出版)での満田かずほ監督のインタビューによると、当時は撮影許可が下りなかったらしく、自動車の中からの盗み撮りだったようです。開館まもない頃だったので、壊されることに抵抗があったのでしょうか。本編に出てくる玄関周りのシーンは、兵庫県の芦屋市役所で撮影されています。

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本館は1966年の竣工ですが、1973年に増築されています。公式サイトには、開館50周年を記念するサイトが開設されており、完成当時の様子を動画(16:00付近)で見ることができます。

国立京都国際会館50周年記念サイト
http://www.icckyoto.or.jp/50th/index.html

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撮影許可が下りなかったとはいえ、ミニチュアセットは、明らかに「国立京都国際会館」をイメージして作られていることがわかります。

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現地写真左側の建物「アネックスホール」は1998年に完成。つまり、キングジョーが立っている場所は、『ウルトラセブン』放映当時は何もなかったことになります。まあ、本物を忠実に再現したミニチュアセットではないので、あくまでイメージに過ぎないのですが…。

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「アネックスホール」の壁面は、ミニチュアセットとそっくりです。

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ウルトラセブンとキングジョーが対峙したのはこの辺り?

『宇宙からのメッセージ』(1978)より
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さらに脱線しますが、東映の『宇宙からのメッセージ』では、ミラゼリア方面軍司令部の外観としても登場しています。

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『宇宙からのメッセージ』は東映京都撮影所で製作されたため、同じ京都市内にあるこの近代的な建物が撮影に使われたのはわかります。ちなみに設計者は、大谷幸夫さん。ゴジラに破壊された東京都庁舎横浜美術館を設計した丹下健三さんの片腕だった人です。やや強引にゴジラに話が戻ったところで、今回はこの辺で。次回はゴジラの足取りを追って私の地元・大阪編をお送りする予定です。

(2014年5月10日/2016年11月3日撮影)

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コメント

ゴジラ対メカゴジラにエキストラとして参加しました。

久しぶりに映画を見てみたら、自分が映っていたのでびっくり。
撮影時、映ったら恥ずかしいので、隠れるように奥にいてたのですが、
誘ってくれた友人は、前に前に出ていきました。

エキストラ参加者の試写会で、友人は映っていたけれど、自分は映っていなかったと思います。
しかし、劇場公開版では、その友人の姿を見つけることもできませんでした。
きっと試写会では、エキストラにサービスをしていたんだろうなあと思いました
(確か、大阪での試写会の時「編集できたばっかり」と言っていたか、「一昨日に編集ができたばっかり」と言っていたような記憶があります。でも大阪は、東京、横浜?よりその特別試写会はあとだったので、もし同一編集のものであるとするなら、一昨日というのはあり得ず、記憶違いになります)。

ビデオソフト化されたときも、私は見てませんが、友人は「全然映ってなかった」と言っておりました。

A班とB班があり、自分の参加したものを仮にA班とすると、A班は3か所撮影予定だったのですが、三条大橋の撮影ですでに時間が押し、二年坂の方にはいかず、清水寺に行くことになりました。
(二年坂の方は撮影班を入れ替えて、ロケ地が減るから予定になかった清水寺に行ったか、そうか、もとから清水寺だけは合流予定だったかも)。

清水寺の記事中の写真で外国の方がいますが、私の班のバス2台に外国人さんはいなかったと思います。
書かれている通り、人の流れを遮断して、エキストラだけの撮影をしようとしていたのですが、それが出来ず、「絶対に笑わないでください」と撮影班が言って、修学旅行生も参加しての撮影になりました。

確か自分に近くに外国人の子供がいて、その子は本当にただ清水寺に来ていた子でした。
でも写真に写っている外国の人よりもっと小さかったので、正面で映っている外国の人は、B班の人だったのかもしれません。
英語での説明アナウンスもなかったですし、日本語を理解していないと演技もできないので、この人らはエキストラに参加していた人かもしれません。

ちなみに友人はここの写真にも写っております。

ずっと舞台前方の撮影班の方がしゃべっていたので、みんなそちらの方を見ていたと思うのですが、撮影終わって気付くと、自分の斜め前にもカメラがありました。
これが外国の人を含めて抜いたカットを撮影していたようです。


自分は、三条大橋の土手を走ってくる(3番目か5番目)の豆粒でしか映っていなかったと思っていたので、びっくりしました。

記憶違いがいっぱいあるかもしれませんが。

昔録画しておいたCS放送のものを数日前見たら、友人が映っており、じゃあ自分も近くにいるはずと思ったら、数秒思いっきり映っていて。

こんなのいくなんでも当時気が付かないはずなかったのにと思い。
今こういうものを見つけると、あの時、恥ずかしがらずにうつっておければよかったなあと思いました。

メイキング映像があるようですので、手に入れてみてみたいと思います。
記憶違いの点もわかり修正出来るかもしれません

zaza様、コメント承認と返信が遅くなり申し訳ありません。
貴重なエキストラご出演のお話、ありがとうございます。撮影は2班体制で進められていたのですね。CS放送で確認できたとのことですが、もし4K版が出たらもっと鮮明に確認できるかもしれませんね。

長く、思い出しながら描いたような文章にもかかわらず、掲載してくださってありがとうございます。

どうでもいい蛇足ですが、他の方はそういうことなかったので、自分たち2人だけが聞き落としたのだと思いますが、
三条大橋の撮影でバスを降車する時、「まだ撮影あるし、荷物置いといてもいいんやろうな」と思い、バスに荷物を置いて行ったのですが、
京都は観光客が多いからか、そこまで乗ってきたバスは帰ることになっており、また違うバスで、次の撮影場所(変更前の二年坂)に行くことになっていたようです。

 そうすると、しばらくしてから添乗してくださっていた、東宝関係者と思われる人が、荷物を持ってきてくれたのですが、びっくりするぐらい、なんでそんなに怒るんやというぐらい怒られました。
 撮影関係の事で、いらついたはったのかも。

 撮影が終わり、配給のお弁当を河原で食べて、替えのバスが来て、それに乗った時に、時間が押していけないので、予定していた撮影場所は別の班が行き、自分たちの班には予定になかった(だったと思います)清水寺に行き、エキストラ班全部が合流するという説明を受けたと思います(別働班も、エキストラ出演回数が予定より減っていたようです)。
 
友人は、誘ったら来るだろうと、自分の名前も書いておいてくれたみたいです。
募集は、報知新聞(スポーツ報知のことかな?)で見たようで、確か150人募集で抽選でと言っていたと思います(撮影時は、明らかに全人数で200人以上いましたが)

撮影時のエキストラの時間工程などの説明文章2枚、どこかに残してあるんですが、家探ししたけれど見つけられませんでした。

つまらない文章で申し訳ありません。

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