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2014年11月30日 (日)

ゴジラ60周年ロケ地巡り~『ゴジラ』④(品川・銀座~その2)

前回取り上げた『キングコング対ゴジラ<高画質版>』(1962)に続いて、日本映画専門チャンネル「発掘!お宝特撮特集」では『怪獣王ゴジラ<日本公開シネスコ版>』(1957)も放映されました。

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アメリカでの大胆な再編集、ところどころにトンデモな日本語が飛び交う本編はもちろん必見なのですが、そもそもアメリカ版『GODZILLA KING OF THE MONSTERS!』(1956)は、スタンダードサイズでした。それを、アメリカでの大ヒットを受け、日本で凱旋公開するのにあたって、画面の上下をトリミングし、無理やりシネマスコープサイズにしてしまったのが本作です。


今なら著作権問題に発展しそうですが、本作が公開された1957年は、杉江敏男監督の『大当り三色娘』(1957)を皮切りに、『地球防衛軍』(1957)など東宝版シネマスコープ、いわゆる「東宝スコープ」の作品が上映され始めた時期で、東宝スコープを推したかった東宝としては、オリジナル版の画面構図を犠牲にしてでも「シネスコ版」と銘打って売り出したかったのでしょう。それにしても、今回放送されたこの「シネスコ版」は、今までビデオソフト化されていなかったこともあり、大変貴重です。映像は傷だらけでコマ飛びも激しかったですが、それを放送しようと決断した日本映画専門チャンネルには拍手を送りたいです。

さて、前置きが長くなりましたが、今回は『怪獣王ゴジラ』にちなんで、第1作『ゴジラ』のロケ地をご紹介したいと思います。「ゴジラ60周年ロケ地巡り」シリーズでは4回目となりますが、その後新たに訪れたロケ地を紹介していきます。

ゴジラ60周年ロケ地巡り~『ゴジラ』①(品川・銀座)
http://tokusatsu.way-nifty.com/blog/2014/07/60-4fa7.html

ゴジラ60周年ロケ地巡り~『ゴジラ』②(勝鬨橋)
http://tokusatsu.way-nifty.com/blog/2014/07/60-af1e.html

ゴジラ60周年ロケ地巡り~『ゴジラ』③(札の辻・国会議事堂・石鏡)
http://tokusatsu.way-nifty.com/blog/2014/07/60-6fae.html

◆並木通り
『ゴジラ』(1954)より
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人々が避難し、ネオンだけが寂しく光る銀座の街並み。


もう何度も参考にさせていただいている野村宏平著『ゴジラと東京 怪獣映画でたどる昭和の都市風景』によると、奥に森永の広告塔が見えることから「並木通り」とのことでした。なお、東宝株式会社出版事業室発行『東宝SF特撮映画シリーズ VOL.3 ゴジラ/ゴジラの逆襲/大怪獣バラン』(1985初版)に掲載されているシナリオにも、「S#155 静まり返る並木通り(短かく)」とありました。

◆すずらん通り
『ゴジラ』(1954)より
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続くこちらのカットは「すずらん通り」です。本編からは「すずらん通り」であることはわかるものの、実際にどの辺りで撮影されたのかがよくわからなかったのですが、前掲の『ゴジラと東京』によると、「みゆき通りとの交差点際にあった洋品店Lunaの看板が見える」とありました。現地写真は「みゆき通り」から北側の「晴海通り」方面を撮影したものです。

◆宝石専門店ミワ
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ちなみに、「並木通り」と「すずらん通り」の間のみゆき通り沿いには「宝石専門店ミワ」があります。

『ウルトラマン』第14話「真珠貝防衛指令」(1966)より
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科学特捜隊のフジ・アキコ隊員(演:桜井浩子)が、イデ隊員(演:二瓶正也)を伴って訪れるあの宝石店ですね。

◆旧ニッポンビール本社(現・銀座ライオンビル)
『ゴジラ』(1954)より
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ゴジラが破壊するニッポンビール本社は、その前身である大日本麦酒株式会社の本社ビルとして1934年に竣工しています。同年に開業した1階のビヤホールは、現在も「ビヤホールライオン銀座七丁目店」として残っています。なお、ニッポンビール(日本麦酒株式会社)は、1964年にサッポロビール株式会社に社名変更しています。

(2014年9月16日撮影、一部2015年1月31日撮影・改訂)

◆北品川橋周辺
『ゴジラ』(1954)より
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東京湾沿岸に張り巡らされた有刺鉄条網に5万ボルトの電流を流し、ゴジラの感電死を図る作戦が決行され、鉄条網から500メートル以内の住民が避難するシーン。


前掲の『ゴジラと東京』や『初代ゴジラ研究読本』『天王洲・品川Walker』によると、品川区にある北品川橋で撮影されたとのことです。

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北品川橋は品川浦の水路に架かる橋で、大正14年(1925年)9月に竣工。『ゴジラ』本編と比較すると橋そのものは架け替えられているようですが、橋の袂の石柱はそのままです。

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先のカットのアングルから少し右へ向くとこのカットになります。本編をよく見ると、大八車の後ろに見える家屋の看板に「はぜ釣」の文字が見えます。

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この辺りは釣り舟や屋形船が停泊する船だまりとなっており、現在も船宿がいくつか残っています。

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このカットも、北品川橋を別アングルで撮影したものと思われます。ところで、この地域は『ゴジラ』以外にも住民が避難を強いられた地域でした。その作品は……


平成ガメラシリーズの特撮を担当した樋口真嗣監督が、2006年にリメイクした『日本沈没』です。

『日本沈没』(2006)より
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主人公の阿部玲子が住む地域として、北品川橋周辺エリアがロケ地に選ばれています。

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カメラは対岸に並ぶ木造家屋群に寄ります。

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対岸の実際の風景です。奥に見えるビルは合成ではなく、実在する「京王品川ビル」でした。この木造家屋群の一角に、阿部玲子の叔母が営むもんじゃ焼き屋の「ひょっとこ」があるという設定です。ただし、「ひょっとこ」自体は外観も含めてスタジオセットで撮影されています。

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こちらは、物語の中盤で水没に備えて地域住民が避難するシーン。

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避難を拒む「ひょっとこ」常連客・日沼の祖母。

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避難する叔母や「ひょっとこ」の常連客たちを見送る玲子(演:柴咲コウ)。

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水没した北品川橋周辺と、崩れゆく品川インターシティのビル群。このシーンを含め、北品川橋一帯が映るカットは、本編では高所から撮影されています。

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北品川橋からカメラのある方向を振り向くと、1件だけ背の高い建物が見えます。

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北品川病院です。おそらく、この病院の屋上付近から撮影されたのではないかと思われます。

(2013年4月13日・2014年11月26日撮影)

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